Chaca-log

1年間の1人暮らし。何か新しい事を始めたいと悪戦苦闘しながらもBLOGに挑戦中です。

「何かを得るために何かを捨てる」なんて勿体なくて僕にはできない!

こんにちは、Chacaです

 

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僕は「あれも欲しい」「これも欲しい」と「欲しいもの」がいっぱいあります。

「欲しいもの」の中には、「車が欲しい」「Mac Bookが欲しい」などお金で買えるもの、「友達が欲しい」「もっと積極性が欲しい」とお金では買えないものがあります。

何かを得るためには何かを捨てる」と言われていますが、どうなんでしょう。

何か欲しいものができたとき、何かを捨てなければいけないのでしょうか。

 

時間を捨てる

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何かを得るためには時間を捨てなければいけない。

分かりやすいところでは、「サラリー(給料)」ですね。

より多くの収入を得ようとするならば、今以上の成果をださなければいけません。

ではその成果をだすためには何が必要になると思いますか。

僕は、「時間」だと思っています。

10ある力の8で仕事をしているのなら同じ時間で10の力を出せば【+α】の成果はついてくるのでしょうが、10の力で挑んでいるのならば【+α】を引き出そうとするためには「今まで以上」の時間が必要になってくるのではないでしょうか。

また「TOEIC」で850点を目指そうとするならば取得に向けて勉強をしなければいけません。

遊んでいる時間、テレビを見ている時間、飲みに行く時間、何かしらの時間を捨てて(犠牲にして)勉強に励まなければダメですね。

 

選択の自由を捨てる

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「あれをしたい」「これをしたい」というような「選択肢の自由」を捨てなければいけません。

新しいことを得ようと決断したのだから、最優先事項は「決断したこと」。

選択肢の「あれもこれも」を捨ててしまうことがセオリーなのではないでしょうか。

自由が存在しているということは「何かを得ない」という「選択の自由」も存在しているわけですから「何かを得る」ためには「自由」は捨てるということです。

 

固定観念を捨てる

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固定観念(こていかんねん)は、固着観念(こちゃくかんねん)とも云い、心理学の用語で、人が何かの考え・観念を持つとき、その考えが明らかに過ちであるか、おかしい場合で、他の人が説明や説得を行っても、あるいは状況が変わって、おかしさが明らかになっても、当人がその考えを訂正するようなことのないような観念を指す。

引用元:固定観念 - Wikipedia

固定観念は得るものの「何か」にもよりますが、「新しく何かを得よう」とするときに邪魔者以外の何者でもありません

新しいものが「こうあるべき」だとしても自分の「観念」と違っていたら受け入れることはとても難しくなりますから。

素直に受け入れ「得る」のならば「固定観念」は捨てるべきですね。

 

人間関係を捨てる

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「何かを得る」の「何か」が仮に「夢」なのだとし、「夢」に向かって一生懸命になっているはずです。

その「夢」の弊害になる人はバッサリと切り捨てましょう。

厳しい言葉かと思われるかもしれませんが、一番の近道です。

自分にプラスになる人、為になる人を選び、お付き合いすることが賢い選択です

これは極端なお話しだったのですが、優しくいうと社会人が「アメリカ留学」のため毎日 4時間 語学の勉強をすると決めました。

すると「今晩一杯行くか!」というようなお誘いも今までのようにはいきません。

その都度お断りすることになるかもしれません。

そうすると、少しずつですが「人間関係」には亀裂が入っていき「あいつは付き合いが悪い!」と相手にされなくなるかもしれません。

このことは「人間関係」を捨てる(犠牲にする)ことになりますね。

 

まとめ

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参りました。

この度「何かを得るには何かを捨てる」ということを書いてきたのですが、チンプンカンプンになってきましたよ。

すべてを説明できるような良い例えはないだろうかと考えてみました。

「何かを得る」の「何か」=「司法書士資格」とします。

ご存知の通り「司法書士資格」は超難関といわれ合格率も 3% 台の資格です。

資格収得するための勉強時間はおよそ「2000時間」

15ヶ月前からのスタートで1日4時間強の勉強時間が必要とされているみたいです。

この「毎日の4時間」を確保するためには「遊ぶ時間・娯楽の時間・趣味の時間」などに時間を割くことはできないですね(少しの時間でも勉強だ!)。

この時間はいい変えると「自由のための時間」ともなります。

「自由」も邪魔になりますね。

あと間違って覚えている法律。

例)婚姻後夫が妻の姓を名乗ったからといって妻の親が他界したとしても夫には相続権がない。

一般的には妻の姓を名乗るので「養子」と思われているが「養子縁組」をしなければ「法律上の養子(親子関係)」にはならないので財産相続できないということ。

「えっ、『ますおさん』は相続できないの、そんな馬鹿な!」

「だって養子やで!財産分与されへんわけないやん!」

「法律おかしくない?」

「いつから法律変わったん?」

「絶対、俺の言うてることの方が正しいはずや!」

普段から「養子」というものを間違って使っているので覚えにくいですね。

親子には相続権があるという固定観念

固定観念」のせいですね。

「勉強時間」を確保しなければいけないので、人との付き合いも減っていくことも想像できるのではないですか。

いろいろと書いてきましたが、人生上手くいってますね。

やはり、自然の摂理として「何かを得るためには何かを捨てる」ことは当たり前なんですね。

プラスマイナスゼロ(+-0)」になるなんて・・・

欲張りで、貧乏性でなんでも勿体ないと思う僕は「何かを得るために何かを捨てる」・・・「捨てる」なんて勿体ないことはできません!!

「捨てなくても良い方法」何かないですかね??

 

Chacaでした・・・